2005年04月05日

集合教育の落とし穴

ココロコロコロさんとこの記事を読んで。。。

私も、昔から疑問に思ってました。
ニュース番組とかのいわゆる識者・コメンテーターたちの発言に。
何でもかんでも「箱」に入れたがるのは、学者や頭のいい人たちの悪い癖かも。

統計的に導き出される一つの「可能性」に過ぎないのに、TVや雑誌などで
その可能性の「度合い」を示さずに話題にすると誤った考えになりがちですしね。

血液型のように、楽しい話題や、その信憑性は実は余り重要でないような場合は
いいですが、犯罪などの加害者心理を「箱」に分けて捕らえるのは
慎重にならなければいけないと強く思います。

今、日本の教育現場も少し変わろうとしてると聞きました。

いままでは「ここまで」っていうラインをもうけて、そこに子供たち全員を向かわせ優劣を決める。
というやり方でした。偏差値や教科別の水準値など。
確かに、教育者としてはそっちの方がらくだわなぁ。。
自分のフィールドに子供を誘い込んで教える(説教?)んだから。

教師=>子供

という図式で知識を教え込んでいる感じ。
一方通行になりがちですね。
自分の持つ知識の1パターンを100人の子供に教える事になるかなぁ。

この方法が間違っていたとはいいません。有効的な面も勿論有ると思います。
学力水準が(最近は落ちてきたらしいけど)世界的にも高い日本の今日も
この教育方針の成果の一つだとは思います。

これからは、「子供たち一人一人にあわせる」いわゆる欧米スタイルを取り入れ様としているそうです。

 子供=>教師=>子供

って感じでしょうか。子供の意見や考え方・視点を一度取込んでそれを
教育的に指導する。
100人いれば100通りの接し方や教え方、労力が必要ですね。

教師は大変でしょうが、私は至極賛成です。パターン化・統計化は指標や思考過程での
「材料」に過ぎず、ツールです。
本当のところを理解する気持ちがないと駄目かもしれません。
そうやって育てられた子供が本当の「個性的な」子供に育ってくれるんではないかなぁと
私は思います。

これからは、もっと「個人」に目を向けてほしいですね。
特に子供たちは、情報過多の世間の中で生きています。
よって、時には大人以上の情報を持っていることもあります。
しかし、それは「経験」や「体験」などから学んだ物ではありませんし、
いままでは「マイノリティー」的な考え方もネットで簡単に探し当てる事が出来ます。
過去では「極稀な考え方」が一般的に触れる機会が多々有る状況です。
よって、「これはあのパターンだ」「分類するならこのパターンだ」などと先回りして
考えるより、
「この子は何を思い、考え、どういう視点で」という、
一度その個々人の視点に後戻りして思考過程を出来るだけ同じように踏んでみて、
考えるようにしたいと思う。

私は自分の子供に対してできるだけ子供の視点に
立つように努力してます。
どうしても「自分の過去の経験」や「一般的な知識・情報」の眼鏡越しで見てしまいがちです。
だから、意識して「意見を聞く」「その考えにいたるまでのプロセスを出来るだけ辿る」
事を考えます。
まぁ、言うほど簡単ではないですし、叱り付けるときなんかは完全に「経験則・知識」から
判断して喋ってますけどねぇ。
様は「意識する事」が大事だと思い、ケースバイケースで使い分けてます。

うーん。難しい。。。

posted by KOB at 16:23| Comment(1) | TrackBack(0) | *BLOG | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
きょう、子供に通行するはずだった。
よってきょううさ公は教育しないです。
Posted by BlogPetの「うさ公」 at 2005年04月06日 11:43
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